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事業奉賛趣意書

秋里籬島『大和名所図会』に描かれた與喜天満神社一ノ鳥居

 初瀬は『萬葉集』に「隠国の泊瀬」と詠まれたように 三方を山々に囲まれた渓谷の景勝地で 神の籠もる霊地でありました 與喜山の西南麓の岸壁上に鎮座する與喜天満神社から緑の苔の連歌道と言われる古道を長谷寺に向かうと 途中の山裾南側には大国主命の娘 大倉姫賣命を御祭神とする延喜式内社鍋倉神社跡がありました またその北側には紫式部の名筆になります『源氏物語』第二十二帖で語られてまいりました 夕顔の娘 玉鬘に因む玉鬘庵がありました さらにその奥の藤原家隆居住地跡には素盞雄神社が鎮座し 大前には大銀杏の御神木が聳え立っています 中世盛んであった長谷信仰を紐解けばここ隠国の初瀬の地は 古代日本の聖地(隠国初瀬の小国)であり 神仏習合の聖地(長谷寺 與喜天満神社)であり また金春禅竹作の名作 能「玉鬘」にもありますように源氏物語の舞台(長谷寺 二本の杉 古河野辺 玉鬘庵跡)であり 法楽連歌も行われるなど さまざまに特別な地でありました

 近年その連歌道が整備され 長谷寺をお参りした方々が大勢周辺を散策されるようになると「源氏物語の玉鬘庵はどこか」「どうして式内社の鍋倉神社がなくなったの」というお問い合わせが相次ぎました そこで古文書等を紐解いて両地の経緯を調べてみますと まず玉鬘庵は明治の初頭になくなり 本尊の観音坐像は長谷寺法蔵に安置され いまではひっそりと供養塔のみがたてられています また初瀬の地には瀧蔵神社 山口神社 白髪神社等が今も鎮座されますが 何故か鍋倉神社だけが明治四十一年素盞雄神社に合祀されたことが記されております しかしながら日本の宗教 思想 文学 芸術 文化上等きわめて重要な処であることは 先にも述べましたように誰もが認めるところであります
 上記のことを鑑み 八年前より與喜天満神社にお仕えする御縁をいただいた者として與喜天満神社の氏子崇敬者の方々と色々協議を重ねてまいりましたが 今こそここに鍋倉神社を再興し 玉鬘神社を創祀しなくてはならないと心を抑えきれなくなり 鍋倉神社再興と玉鬘庵跡地に玉鬘神社の建立とを決断いたしました次第です 併せて長谷寺の門前町の賑わいにも寄与できれば幸いです

 古代より鎮座されました式内社である鍋倉神社の再興につきましては 長谷寺の御守護と土地のお鎮めを賜りたく 皆様にも容易にその意義を御理解いただけることと存じますが 今回創祀となる玉鬘神社におきましては何分知られていないことも多いため その建立の意義について歴史をさかのぼりながらいま少しご説明申し上げます

 平安時代に霊験あらたかな長谷寺参詣が『源氏物語』「玉鬘」の執筆に影響があったことはいうまでもありません 平安時代の中頃から 観音菩薩の信仰が高まり 長谷寺参詣が盛んになりました 花山院上皇の御幸 女院の東三条院 藤原道長 藤原師実らの参詣がありましたが 女人の長谷詣でも盛んになされました
 藤原道綱母の『蜻蛉日記』は「あるかなきかの心地するかげろふのにきといふべし」と題名の由来を書いていますが 摂政藤原兼家と結婚してからの 不安定な結婚生活の苦悩と嫉妬などが初瀬詣でに誘わせました 安和元年(九六八)三十三歳のころでしたが 天禄二年(九七一)にも父と再び初瀬寺に詣でています
 清少納言の『枕草子』に「市は たつの市 さとの市 つば市 大和にあまたある中に 長谷にまうずる人のかならずそこにとまるは 観音の縁のあるにやと」とあります つば市(椿市)は『源氏物語』の「玉鬘」の中の重要な場所となっていることは 後に記すとおりです その場所は桜井市金屋とするのが通説となっています
 菅原孝標女の『更級日記』は 長谷寺に詣で三日間お籠もりをして いよいよ退出せんとするときにお堂のほうから 「霊験あらたかな稲荷の杉だよ」と投げ出すようなしぐさがあったので 目を醒ましたら夢だったと言います 長谷寺は夢を授けていただく寺でもありました

 このように 筑紫より遠路おもむいた玉鬘の長谷詣において 亡き母夕顔の侍女右近に運命的に出会うという神縁に導かれて 人の世の定めなき心のゆらめきを鎮める叡智と 別れた人との再会のご縁を授かるべく また金春禅竹の名品「玉鬘」にあやかり 心のすみに巣窟する迷妄をお祓いいただくよすがを賜りたく この度ここに玉鬘神社を創祀することに相成りました 長谷寺のありがたき仏縁をいただかれた玉鬘を尊い女神様としてご鎮座いただきたく懇願いたす次第でございます

 以上につきまして諸般何かとご負担の多きこととは存じますが ご尊家のお力添えを賜りたく一文を差し上げることに相成りました ご信仰の深いご神縁をもちまして 玉鬘神社創祀と鍋倉神社の再興に関わるご造営の趣旨にご賛同いただきご奉賛を賜わりますように 伏してお願い申し上げる次第でございます 以上右略儀ながら書状をもってお願いのご挨拶を申し上げます
 最後に皆様方におかれましては 十一面観音様の御加護と菅原道真公様の御神徳を賜りますよう御神殿より御祈願申し上げます

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