崇神天皇御代四十三年丙寅(皇紀六〇六年=BC55年)、倭の国伊豆加志本宮に遷りたまひ、八年齋き奉る。
奈良県桜井市大字初瀬一番地 與喜天満神社 御祭神 菅原道真公
丹波の吉佐宮から再び倭の地に遷り、『伊豆加志本宮』で八年もの間、齋き奉られることになりました。この伊豆加志本宮は、『日本書紀』や『皇太神宮式帳』には見られず、『倭姫命世記』のみ登場します。
比定地とされる桜井市大字初瀬1番地の與喜山(大泊瀬山)は、古代大和の国では最初に太陽の昇る神聖な山として崇められたそうで、『萬葉集』にも登場する名高い「隠国の泊瀬の小国」(山に囲まれ隠っているような長谷)
中でも伊豆加志本宮に比定されている與喜天満神社は、創祀天慶9年(946年)と伝わり、與喜の山裾で、観音信仰篤き菅原道真公の御神霊お祀りする古社で、日本最古の天神だそうです。
国道の大鳥居跡から門前町を進むと、正面に赤い鳥居の立つ緑濃い常緑樹の山容が、大きな存在感をもって迎えてくれます。與喜山は、国の天然記念物にも指定されています。
與喜天満神社社殿は・・・鳥居から杉の大樹に挟まれた百数十段の上に三層の石垣があり、御神体山から高さ140cmの瑞垣が社殿を囲うように正面中央に中門を置き、3面延べ約50メートルめぐらされた中に本殿、瀧倉権現3社、白太夫社、櫻葉社が鎮座されている。
本殿
流造3間社破風付造 梁行270cm 桁行180cm 向拝270cm 高欄付
屋根檜皮葺 覆屋付
堂々した建物で、斗と肘木の組物が三手先で正面は5組と見事な軒回りである。正面は2枚の両開きの御扉で、その両面の板壁には立派な彫刻が施されている。(ホームページの写真を参考にして下さい)
現在の本殿は、棟札から総本山長谷寺第39世能化唯阿僧正が、文化15年(1818年)2月20日に御再建された。
現在、本殿を奈良県の文化財指定に向けて努力している最中です。
與喜天満神社の創祀は天慶9年(946年)で、はじめ3年の間は神祠もなく鎮座された松の大樹を御神体としていたが、役行者の再身ともいわれてる神殿太夫武麿に御神託があって、天暦2年(948年)7月武麿が松樹の本に宝殿を建て御神霊をお祀りしていたが、改めて同年9月20日に現在の神殿の地に社殿を建て、郷内で氏神として祀ったのが與喜天満神社で、日本最初の天神社と言われています。
祭礼日は、時代とともに旧暦の9月20日から新暦10月20日に移り、現在では10月20日に近い土・日に決まりました。
因みにcheck、京都北野天満宮の創祀は、天暦元年(947年)です。
宵 宮
日時:平成31年10月19日(土)午後4時より
祭典:神輿当番区(上之森区=区長藤井守)の氏子が、神輿を本殿の祝詞殿の階に突っ込み明日の朝の神輿御巡幸まで一晩安置し、かがり火を灯し、 一晩中灯り絶やすことなく宵宮が斎行される。
本 宮
日時:平成31年10月20日(日)午前9時より
祭典:神輿に御分霊を安置し、神輿を境内地に設置、宮司祝詞殿にて祝詞奏上、玉串奉奠、発輿の祭り、神輿渡御(最初は長谷寺仁王門前で祝詞奏上➡与喜浦御旅所・切石御旅所・橋詰御旅所並びに初瀬8ケ大字を御巡幸し、夕方5時頃還幸の祭りで終わります。
直会は、午前11時頃より旅館「井谷屋」で盛大に行われます。
本年度は、祭りを盛り上げる太鼓台2台が柳原区・新町区から出ます。